2010年02月13日

「天山高農塾」

 
  昨日の佐賀新聞の「有明抄」(朝日新聞でゆうところの「天声人語」みたいなコラム)に
 
  私の祖父・七田秀一に関することが書いてありましたので、全文を紹介させていただきます。


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  「(前略)ある論者は工業立国を叫び、ある論者は農業立国を主張する。
 
   いずれにしてもわが日本において食糧問題の解決は急務中の急務。
 
   将来、農業を以って新日本の建設に寄与せんとする諸君・・・・・」
 
 
  今から60年ほど前、小城市小城町岩蔵、祇園川に沿って「天山高農塾」という
 
  全寮制の私塾があった。塾の壮健には財を投じたのは天山酒造(小城市)の
 
  前身、七田本店の当主・七田秀一氏(故人)である。

  冒頭の言葉は入塾募集の一部だが、七田氏は「農業こそが国の基礎」だと
 
  今で言う企業メセナ事業として優秀な農業指導者養成を目指した。
 
 
  入塾募集には「画一的な詰め込み主義の既成教育機関と異なり、
 
  英国ケンブリッジ、オックスフォード大学の如き少数主義の編成」という
 
  くだりも見え、その講師陣の大半を九州大学から招請。当時の沖盛源一知事を
 
  顧問に、塾歌は著名な歌人佐佐木信綱氏の手になる。
 
 
  並々ならぬ思いでこの「天山高農塾」が開塾したのは1946(昭和21)年
 
  5月14日。1回生18人が学び、郷土出身の経済学者・高田保馬博士や
 
  陽明学者・安岡正篤氏らも客員教授として教壇に立った。
 
  終戦の翌年、そんな高い志を掲げた私塾があったことに驚いてしまうが、
 
  残念ながら「天山高農塾」は3年5ヶ月で閉塾となった。
 
 
  
  ようやく文部省(当時)の大学認可を受けようとした矢先の1949年8月。

  県内を襲った「ジュディス台風」で祇園川が大氾濫。その濁流が寮も校舎も
  
  図書館もすべてのみ込み、塾の教師や生徒にも犠牲が出てしまったので
 
  ある。
 
 
  
  歴史に仮定の話はなじまないが、この「天山高農塾」が今に続いていたら
 
  どれほどの優秀な人材を輩出していたことか。入試シーズンにふと思い
 
  出した佐賀の教育逸話である。
 
 
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  なかなかこうやって祖父が開塾した「天山高農塾」に関して客観的に
 
  知る機会が無かったので、何度も記事を読み直しました。

  もちろん、「天山高農塾」に関することは何度も聞いてましたし、ある程度
 
  理解していたつもりでしたが・・・・
 
  時代背景に驚いたのです。
 
  おそらく祖父は今の私と同じくらいの年齢だったでしょう。
 
  戦後間もない日本中が食糧不足で大変だった時期に、日本の将来を憂い
 
  「農業こそ国の基礎」という信念を曲げずに開塾したその高い志を尊敬したい
 
  と思います。
  
 



Posted by 六代目蔵元ケンスキー at 10:31│Comments(3)
この記事へのコメント
素晴しい人達の中で生まれ育ったんですね。

これからの天山、七田に大いに期待してます、『ホロ酔い・・・』はもうすぐ終わりますが、頑張ってください。

社長!
Posted by sai at 2010年02月18日 03:03
そうですね、環境に恵まれすぎて・・・

こんな大人になってしまいました(反省)
 
それはそうと、「ホロ酔・・・」はもうすぐ

終わっちゃうんですか?
 
えーっ聞いてないですよ。しかも、まだ
 
似ている私の顔が登場していないのに!!
Posted by 六代目蔵元ケンスキー六代目蔵元ケンスキー at 2010年02月19日 09:45
ごめんね、似ないまま終わって。

でも、長い歴史の中に脈々と、遺伝子が流れてるって凄いなあ。
その中に組み込まれてる一人、七田謙介

がんばれ!     

僕は、天山・七田のいちファンとして、酒が呑めるうちは応援しとるよ。
Posted by sai at 2010年02月22日 01:07
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